人間は死ねば善人は天国、悪人は地獄に行くというのは信仰の有無は関係なく、広く認識されている宗教的な世界観といえる。その中で最も知られているのはキリスト教の死後観だろう。 だがその真実は一般的なイメージの「死んだらすぐ天国で安住する」とは真逆の複雑な教義が横たわっている。
死後はまず「仮住まい」へ:肉体復活と最後の審判への道のり
「キリスト教では死後はこうなる」と細部まで一枚岩にまとめることはできない。特にプロテスタント諸派は多様である。キリスト教の死後観が複雑な理由に/「肉体の復活」と「最後の審判」がある。宗派を問わず、キリスト教全体として、死んだ後、善人は天国、悪人は地獄と簡単に言えるものではない。死後の行方、死者の復活、キリストの再臨、最後の審判、新しい天地という、いくつもの段階が組み合わさっているのである。
例えぱカトリックでは、死後、煉獄を経た天国と、陰府(地獄)を説く。一方でプロテスタント諸派には、死者は「復活」「審判」の日まで、眠った状態にあると考える立場がある。天国、地獄、眠った状態…これらはいわば、「仮住まい」のようなようなもので、時が来れば、キリストが再び現われ(再臨)、すべての死者が「肉体を伴って」復活し、最後の審判を受ける。その上で新しい天地が到来し、救われた人は復活した体で永遠に生きる。地獄行きのひとは永遠に火の池で焼かれるというのが、全体的な物語である。
「仮住まい」の捉え方に違いはあるが、最終的な「復活・最後の審判・新しい天地」という大枠は共通している。
<カトリックの教義> 試練の場「煉獄」と確定した運命を待つ「私審判」
カトリックでは、死の直後「私審判」(個人の裁き)を受け、煉獄(天国)、陰府(地獄)のいずれかへ向かうとされる。この「煉獄」はカトリック独自の概念で、救われてはいるが、完全には清められていない人が炎に焼かれて浄化される過程である。「仮住まい」としての天国行きが約束されているが、天国へ行くための試練というべき世界である。この浄化の炎の苦痛は生者の祈りやミサなどによって助けられると説く。その後は天国で「仮住まい」の生活が始まり、時が来ると肉体ごと復活し、最後の審判を待つ。一方、不信心者など救われない者は、陰府(ハデス)で仮住まいをした後、審判を受けた後に地獄(火の池/ヘゲナ)へ堕ちる。
誤解されがちだが、この審判で天国・地獄行きが覆ることはない。最後の審判は、判定をひっくり返す場ではない。復活後の「復活した身体と共に、確定している新たな新天地、または火の池)へと正式に旅立つ場」であるといえる。
<プロテスタントの教義> 生前の信仰で決まる救い「義認」と多様な中間状態
プロテスタントは非常に多様で、ルター派、改革派、福音派など、比較的メジャーな宗派間でさえも、細部には違いがある。基本的にプロテスタントは「聖書のみ」「信仰のみ」を重視し、「信じる者は救われる」とあることから、救いは信仰によって神から与えられるものと考える(義認)。つまり、神を信じられるのは、神から信仰を与えられている。すでに救われている証拠である。カトリックの「私審判」とは違い、信仰した時点で救われ、死後の行先は生きている間に決定する。
「仮住まい」=中間状態については、教派によって幅がある。「死後すぐキリストと共にいる」とする見解が一般的だが、「復活まで眠りの状態」とする立場もある。「煉獄」については聖書に書かれていないということで否定される。とはいえ「仮住まい」から「肉体の復活」を経て「最後の審判」を受けることには変わりはない。
<東方正教会の教義> 刑罰ではなく神との交わり:変容を目指す「神化」のアプローチ
ここまでは日本人にも馴染み深い西欧キリスト教の死後観だったが、これらとはかなり異なるのが東方正教会である。ギリシャ正教、ロシア正教などの名称で知られる「第3のキリスト教」の死後観は、西方キリスト教の一部で発達した法廷的・刑罰的枠組みが中心ではない。神との交わりの回復や、人間の霊的な癒やし・変容を重視する、「神化(テオーシス)」として理解する神秘思想的な傾向がある。人間が神と同じ存在になるという意味ではなく、神の恵みによって神との交わりと中で変容していく過程を指す。
死後に魂は一時的な状態に置かれ、最後の審判までは最終的な決着はつかない。このあたりは西欧キリスト教と同様で、キリスト教全体に通じる、基本的な中間状態の思想である。また「煉獄」という教義はないが、死者のための祈りは重視され、祈りによって死者が助けられると信じられている。
また正教では天国と地獄を、神の愛への向き合い方の違いとして説明することもある。神の慈悲の光も魂によっては耐え難い苦痛になる。これは考え方次第という主観的な話ではなく、生前に魂をどのように育てるか。死後の魂は変えられないとするので、死後に反省すればよいというものではない。
「肉体の復活」こそがキリスト教の死後観の真骨頂
キリスト教の死後観の一部を概観した。キリスト教の教義は天国地獄の単純な世界観ではない。知性の極地といえるギリシャ哲学を生んだ地中海世界を席巻したことでも、それは当然といえる。特筆すべきは、肉体の復活だろう。肉体の死と復活の概念が、それまでの中間状態という独特な死後観を生んだ。肉体を魂の牢獄(プラトン)とした、肉体蔑視のギリシャ哲学とは真逆の思想である。肉体の復活は「死」に対する勝利宣言である。これこそがキリスト教独自の死後観であった。
参考資料
■稲垣良典「現代カトリシズムの思想」岩波書店(1971)
■ウラジミールロースキィ著/宮本久雄訳「キリスト教東方の神秘思想」勁草書房(1986)
■過去記事
・死の恐怖や悲しみとの向き合い方を説く仏教と死を拒否するキリスト教(2019)
・プラトニズムとカトリシズム それぞれの肉体観の比較(2019)
・もうひとつのキリスト教 ギリシャ正教の歴史や西方教会との違い(2020)
・天国と地獄の間にあるとされている煉獄という独特な世界をどう捉えるべきか(2019)



























