古代ギリシャでは神話的思考と論理的思考が複雑に入り組んでいた。人間には理性がある。だが理性がある故に、理性を超えた存在に「救い」を求めるという矛盾を有している。それは科学時代の現代においてより顕著といえるだろう。ピタゴラスの定理(三平方の定理)で知られるピタゴラス(BC570頃~495頃)は単なる数学者ではなく、まさにその矛盾の最前線に立った人物だった。数学の神様と呼ばれる一方で、魂の輪廻と浄化を説き、理性と信仰の間を泳いだ宗教的指導者・神秘思想家であった。
熱狂の神秘主義と、理性の萌芽を告げた自然哲学
ピタゴラスの思想に入るには、それ以前のミレトス学派とオルフェウス教を概観する必要がある。
古代ギリシャにおいて世界の仕組みは神話(ミュトス)によって説明されていた。万物は超自然的、霊的存在によって生まれ支配されていた。神話は体系化され、オリンポス山に住まう神々による神話はギリシャ神話として現代に伝わっている。オリンポスの神話体系は秩序が保たれており、ゼウスやアポロンといった神々を祭る神殿が建立された。このいわば国民的宗教であるオリンポス信仰に対し、ギリシャ北方のトラキアの民衆の間で、より神秘的な民間信仰が生まれた。ディオニュソス信仰である。ディオニュソス(バッカス)の祭りでは、松明や生贄を用い、踊り狂うことで、神との一体をめざす、熱狂と陶酔に満ちたシャーマニズム的な儀式だった。7世紀になるとギリシャ神話に登場する詩人、オルフェウスの名を冠した宗教運動が起こり、ディオニュソス信仰に変革を加えた。魂と肉体の二元論を根底に据え、魂の不死と輪廻転生を説いた。転生の行方は動物や無機物もある。この輪廻から抜け出すには、魂を磨く必要がある。そのために欲望を律するための禁欲が必要になる。オルフェウス教は神話的思考に理性を落とし込んだといえる。
一方、ギリシャの対岸、アナトリア半島西岸のミレトスで隆盛を見たのが「自然哲学者」たちによるミレトス学派である。ミレトス学派は哲学史では「前ソクラテス」と呼ばれる。その特徴はタレス(BC624〜546 諸説あり)の「万物の根源は水である」に代表されるように、世界は何からできているのか、世界の現象の原因は何かといった万物の根源の正体を、神話などに求めず、水や火といった質料的な実体に見出したことだった。イオニア地方の自然哲学者も加え、イオニア学派とも呼ばれる。イオニアの自然哲学者たちは、現在の自然科学の源流として位置づけられる。つまり非宗教的な色合いが濃い集団であった(無神論者ではなく、神話的説明から自然的説明へと重心を移したといった段階である)。タレスは初めの哲学者と呼ばれる。ここに理性、知性による世界の探究が始まった。神話的思考(ミュトス)から論理的思考(ロゴス)への第一歩である。しかし、それだけでは民衆の死後「救い」などによせる願いは満たせない。迷える民には超越的な存在を説く宗教が必要なのであった。
知性と学問で魂を磨く ピタゴラス流の輪廻転生論
ピタゴラスの宗教思想は、魂の不死と転生、魂の浄化(カタルシス)の3つである。オルフェウス教の影響を強く受けたピタゴラスの思想は魂と肉体の二元論が根幹にある。人間の魂は元々神性を帯びており神の近くにいたが、前世に犯した罪のために、肉体という牢獄に閉じ込められた。肉体には寿命があるため、魂は肉体が滅ぶ度に次々と次の人間、または動物の肉体に生まれ変わる。輪廻転生の思想である。ピタゴラス派では人間の魂が転生する可能性から、肉や魚を食べることを禁じていた。また豆類を忌み嫌ったことは有名で、暴徒に豆畑に追い詰められた際、豆畑を通って逃げる事ができず殺されたという逸話が残されている。そら豆の中に死者の魂が含まれていると信じていたともされるが真の理由はわかっていない。
そうした逸話が伝わるほど、ピタゴラスは魂の不死と輪廻転生を確信していた。彼は転生の間に魂は元々の場所で浄化することができ、やがては神性を取り戻して転生の輪廻から解き放たれることができると説く。だが誰もがそのままの魂の状態で実現することではない。魂を浄化するには現世で敬虔な生活を送り、清らかな魂を持つ者に限る。だからこの世では節制、禁欲、畏敬の念を持つことなどが求められた。
ここまではほぼオルフェウス教を踏襲しているが、ピタゴラスは禁欲生活の一方で、学問、音楽、体操などが魂を清らかにする積極的な方法として推奨した。オルフェウス教では魂を浄化するために饗宴などで密議が行われ、忘我に至る神秘体験を体験したという。一種の変性意識状態になったのだろう。ピタゴラス派では理性を失うことはしない。学問を学び、芸術に親しみ、体を鍛えるといった理性的、知性による行動によって魂は磨かれると説いたのである。
魂と肉体の二元論やそこから展開される、肉体を牢獄とした上での魂の浄化という精神的なものの重視は、これまでのミレトス学派の自然哲学にはなかった。ピタゴラスの思想はやがてプラトン、プロティノスに受け継がれ、中世、近代に至る西洋神秘思想の潮流を形成していくことになる。
現世での修行によって魂を浄化し輪廻から解放されるという思想は仏教と酷似しているが、仏教は基本的に魂の実体を否定している(無我思想)。両者は前提が明確に異なりながらも、その後の世界観が類似している。これに加え、後にギリシャ・ローマをも席巻するキリスト教は魂の不死を認めながら、輪廻転生は否定した。ピタゴラス派は双方の要素が共存している点が興味深い。
宇宙を構成する聖なる実体 「数」の形而上学
ピタゴラスといえば、一般的には「三平方の定理(ピタゴラスの定理)」が有名だろう。ピタゴラスは数学の神様的な扱いを受けている。それは見当外れでもない。ピタゴラス哲学の死生観はオルフェウス教の影響が色濃く残っているが、それに加えられたピタゴラス独自の哲学が「数」の形而上学だった。現代人は数を1や2や3という抽象的概念として考える。しかしピタゴラス(並びにピタゴラス派)にとって数は、単なる記号や概念ではなく、数こそが実在の根源であるという「万物は数である」の立場を取る。例えば、1=点、2=線、3=面、4=立体のように考えた。数は世界の構造そのものであり、現代数学のような純粋抽象的存在ではない。奇数を男性的、偶数は女性的。右=善、左=悪など、数に象徴的・宗教的性格まで与えた。ピタゴラスにとって数は抽象概念ではなく、宇宙を構成する実在的原理だったのである。現代でいうところの数と、物質の中間のような存在で、霊的実体に近いといえる。彼にとって数学は単なる計算術ではなかった。数こそが宇宙の根源であり、神聖な実在そのものだったのだ。こうした特長から、後世にはピタゴラスの名を冠した「数秘術」も生まれた。誕生日(月)の数字の意味を解読し、性格や運勢を読み解く占術である。
ピタゴラスは「数」に対して、現実からは離れながらも霊的な質料を見出していた。後年、プラトンが「イデア」という存在を説いた。イデアは「本質」そのものという現代数学とは真逆の意味における、絶対抽象的存在であり、イデア論にはピタゴラス派の数の形而上学の影響が色濃く認められる。
現代の科学時代にも響く、理性の極致がもたらす「救い」
ギリシャ哲学は現代に至るまでの学問の原型である。だが、学問だけでは人は救われない。だからといってディオニュソス信仰のような陶酔は理性が否定されてしまう。そこで宗教と理性のバランスを試みたのがオルフェウスだったが、ピタゴラスはさらに学問、芸術、そして「数」という理性の極致を宗教思想に落とし込んだ。理性をもって魂を浄化し、輪廻を抜け、天界へ上昇するというピタゴラスの思想は、科学時代における「救い」の答えを含んでいるのかもしれない。
参考資料
■細谷恒夫編「哲学史要説」金港堂(1989)
■斎藤忍随「ソクラテス以前の哲学者たち ギリシア哲学史講義」岩波書店(1987)
■小林利裕・荻原樂「西洋古代・中世哲学者」日本大学(1996)



























