花火は単なる娯楽ではない。慰霊と鎮魂の意味が込められているものがある。夜空に咲く大輪の花は、切なる祈りと願いの象徴である。数ある花火大会の中でも、特にそれが顕著な長岡の花火を題材にして、鎮魂としての花火を考えてみたい。
白一色に込められた戦争の記憶と、国境を越える平和への誓い
長岡の花火(長岡まつり大花火大会)で打ち上げられる「白菊(しらぎく)」は、戦没者への慰霊・復興・そして恒久平和への祈りを込めて咲き誇る真っ白な大輪の花である。
1945年8月1日夜、長岡市は空襲を受け、市街地の約8割が焼け野原となり多くの命が失われた。その翌年に開催された「長岡復興祭」が現在の長岡まつりの起源である。この祭りにシベリア抑留を経験した花火師・嘉瀬誠次(かせ せいじ)は、シベリアで亡くなった戦友や戦没者への供養として白一色の花火を創作した。これが白菊の原型である。
白菊は毎年、長岡空襲が始まった8月1日午後10時30分と、8月2日・3日の大会冒頭に打ち上げられている。また2015年、太平洋戦争の発端となったハワイの真珠湾でも打ち上げられた。「日米双方の戦没者への慰霊」と「世界平和への誓い」を込めたこの打ち上げは、国境を越えた鎮魂の花火として大きな話題を呼んだのである。
暗闇を照らす「火」と無常観:日本人の死生観に根ざす花火の民俗
盆や慰霊に「火」が使われるには、いくつかの理由があると考えられる。盆の迎え火は霊が迷わず家に戻ってこられるように灯す道しるべであり、送り火は再びあの世へ帰る道を照らすためとされる。それは霊を迎える側としても同じである。暗闇の中に火を灯すことで、見えないものが見えるようになる。それは見えない存在を私たちに見せてくれることにも繋がる。
火には穢れを祓い、場を清める力があるとされてきた。神社仏閣で行なわれるお焚き上げや、密教の護摩。全国各地には「火祭り」が存在する。盆では死者の魂を迎える前に空間を清浄にする意味も込められているのではないか。
そして、花火の持つ華やかさと「儚さ」である。一瞬で天空に昇り、咲き誇ったと思えば消えていく。「無常」を感じさせる花火は、生と死、この世とあの世の境界を象徴する。死者に手向ける花としてこれ以上のものはない。
ひとつの例として、隅田川の花火は慰霊のための祭りだったという話がある。1732年(享保17年)8代将軍徳川吉宗の時代、大飢饉の発生や疫病流行などで甚大な被害が出た。幕府は犠牲者の慰霊と悪疫退散を祈って水神祭を催し、翌年に両国橋周辺の料理屋が幕府公認の花火を上げたこと(両国の川開き)が起源とされている。この逸話の史実性には疑問も指摘されているが(民俗学者・丸山泰明氏など)、そうであったかもしれないと納得してしまうものがある。花火の儚さや無常観が日本人の心に深く根付いているからだろう。
震災の絶望から何度でも立ち上がる:市民の絆が打ち上げる鳳凰の翼
長岡の花火にはもう一つ大きな花火がある。「復興祈願花火フェニックス」は、2004年に発生した「新潟県中越地震」からの復興を願う花火である。長岡市も甚大な被害を受けたが、地震から1年が経とうとする2005年、市民の間から「被災者を勇気づけ、全国からの支援への感謝を伝えるとともに、中越地方の復興を誓う花火を上げよう」という声が上がった。こうして誕生したのが、市民や企業からの協賛金(寄付)によって打ち上げられる「復興祈願花火フェニックス」である。フェニックスは信濃川の河川敷、約2.0kmに渡って設置された6〜9ヶ所の打上台 から一斉に打ち上げられ、視界の端から端までが花火で埋め尽くされる圧巻の光景が見られる。
フェニックスが打ち上がるときに、平原綾香の「Jupiter」が流れる。この曲は中越地震の後、地元ラジオ局に多くのリクエストが寄せられた。「ひとりじゃない」というフレーズに多くの被災者が励まされたという。
プログラムの終盤には中心となる大輪の花火の中に、黄金の枝垂れ柳「翼を広げた不死鳥(フェニックス)」の姿が浮かび上がる。そこには「ひとりじゃない」「何度倒れても蘇る」という強い意志が伝わってくる。
死者を忘れず、土地を蘇らせる:慰霊と復興をつなぐ一筋の意志
その人の存在が忘れられてしまう時、それこそが本当の「死」といえるのではないだろうか。慰霊・鎮魂とは、志半ばにしてこの世を去った方たちの霊に「あなたたちのことは忘れない」という思いを手向ける行いである。一方、復興祈願は明るい未来への願いである。「未来」とは、つまり今日までの死者がいない世界。彼らがいるはずだった世界である。復興とは死者が生きていた土地や町、村が甦ることだ。その土地の人間が雲散霧消してしまったら、慰霊も鎮魂もない。復興とは死者の記憶の継続であり、それは死者の復活をも意味する。死者の霊を慰めることは復興を願うことであり、復興を願うことは死者を忘れないということである。
花火大会が縮小傾向にある中で「白菊」と「フェニックス」による鎮魂と復興の祈りは、企業や市民一人ひとりの募金、個人的な寄附などによって支えられている。その祈りは空襲や中越地震にとどまらず、東日本大震災や近年の災害における全国の被災地にも向けられたものだ。「白菊」は死者を忘れないという約束の証、「フェニックス」は生者も死者もすべてが甦る祈願の象徴なのである。
死者に手向ける最高の花
慰霊、鎮魂、復興祈願…様々な祈り、願いが込められていても、やはり花火大会は娯楽である。長岡花火公式ウェブサイトにはこのように書かれてある。
ー冒頭の「白菊」はしんみりと。プログラムNO.1からは「思いっきり」花火大会を楽しんでください!ー
(長岡花火公式ウェブサイト 長岡まつり大花火大会を「より」楽しむためのマメ知識)
歴史や背景を学びつつも、やはり花火を「思いっきり」楽しむ。それが花火大会というものだろう。夜空に咲くのは大輪の花だけではない。歓声があがり、拍手が響く。子供たちの喜ぶ顔。死者にとって、遺された人たちの変わらぬ笑顔こそが、何より嬉しい最高の花ではないだろうか。
参考資料
■丸山泰明「鎮魂の花火の民俗学」『日本学報』35号 大阪大学(2016)
■長岡花火公式ウェブサイト「長岡まつりに想いを込めて」
https://nagaokamatsuri.com/learn/
■web河出「長岡花火大会スタート! 必ず最初に上がる真っ白な花火「白菊」の意味は? 伝説の花火師が平和に捧げた生涯」
https://web.kawade.co.jp/information/138931/
■長岡花火ドットコム「復興祈願花火フェニックス」
https://nagaokahanabi.com/phoenix-hanabi/
■隅田川花火大会公式ホームページ「隅田川花火大会の歴史」
https://www.sumidagawa-hanabi.com/about/index.html


























