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境界に架ける祈りとは 世界と日本にみる「橋供養」の民俗学(前編)

東京都江東区木場(きば)5丁目〜6丁目間を流れる大横川(おおよこがわ)に、新田橋(にったばし)という、幅3.4m、長さ15メートルほどの、鉄でできた赤い橋がある。そばに置かれたいわれによると、この橋は「橋供養」のために建てられたという。

「橋供養」とは何なのか。「筆供養」「人形供養」「包丁供養」など、「もの」を「供養」し、その塚が地域の寺社に建てられていたりすることは珍しくないが、「橋」を「供養する」こととは、「それら」に類するものなのか。

境界に架ける祈りとは 世界と日本にみる「橋供養」の民俗学(前編)

現世と異界を繋ぐ「境界」としての橋――宮田登が説く民俗学的視点

「橋」とは言うまでもなく、水流・渓谷などに架けて交通路とする「構築物」のことだが、民俗学者の宮田登(1936〜2000)によると、世界中で古来より2つの世界、すなわち、日常のA地点からB地点のみならず、「現世」と「異界」とを繋げる境界として意識されていたものだという。

例えば、古代ローマ時代(紀元前753〜476)においては、イタリア中部を流れるティベル川に架かっていた最古の橋とされるサブリカ橋の上から、毎年5月15日に24体の人形を橋の上から投げ込む儀礼があったという。それは橋を建設する際、または洪水や決壊等があったときに、それらを鎮めるために、世界各地でなされていた、いわゆる人身御供を模したものではないかと考えられている。

また、共和政ローマ帝国(BC509〜BC27年)末期に活躍した恋愛詩人、ガイウス・ウァレリウス・カトゥッルス(BC84〜BC54)は、『歌集(Carmina)』第17歌の中で、ある植民市(colonia)の橋が「良いものになるがよい」、「サリスブサリ(Salisubsali)の祭儀(どのようなものかは、不明)が奉納されるとよい」として、以下のように「露悪的」に描写していた。

「…(略)…わが自治市のとある市民がお前の橋から真っ逆さまに
頭も足もすっかり泥の中へ落っこちてほしいのだ
それも、水たまり全体の、そして腐ったような沼地の
穴ぼこが一番鉛色で、しかも最高に深いところへ」

そしてイギリスで古くから伝わってきた童謡・歌謡の『マザーグース』の歌で、我々にもなじみ深い「ロンドン橋」だが、よくよく言葉を眺めてみると、

「ロンドン橋落ちた 落ちた 落ちた 落ちた
ロンドン橋落ちた マイ・フェア・レディ
(London Bridge is broken down,
Broken down, broken down,
London Bridge is broken down,
My fair lady.)
…(略)…」

何らかの理由で壊れ落ちた橋を、粘土と木、レンガと砂、鋼と鉄、金と銀で造営しようとする。金と銀は盗まれるかもしれないので、見張りを立てよう。見張りが夜中眠り込まないように、パイプ煙草を吸わせよう…など、必ずしも「子ども向け」「のどかで楽しい」とは限らない、これもまた、「マイ・フェア・レディ」が人柱であるかのように、橋梁建築や橋そのものの維持の難しさを歌っているのだ。

日本における橋の命名と信仰――永続を願う「万代」と高僧・行基の足跡

話を日本に戻すと、橋が壊れたり流されたりしないように、「常に変わらない岩」から転じて「永久不滅」を意味する「常盤(ときわ)橋」。一代、二代…十代…百代…万代までの永続を願う「万代(まんだい/ばんだい)橋」。そして全国各地を巡って仏教を広めた奈良時代の僧・行基(ぎょうき、668〜749)が教えを庶民層に広める際、念仏(「南無阿弥陀仏」など、仏の名前を唱えること)や誦経(ずきょう。経文(きょうもん)を声に出して朗誦すること)のみならず、地域の人々の利便性を図るために浄財を募り、土木作業などを行わせるなど、協力し合って、橋を架けたという伝説が残るところに「行基橋」や「聖橋(ひじりばし)」が存在すると言われている。

一方、川で分断されている「向こう」と「こっち」をひとつに結ぶ「橋」はかつて、「領主権」が及ばない「境界点」でもあった。そのため「橋姫(はしひめ)」と呼ばれる、村落共同体に邪霊や外敵の侵入を「防ぐ」神様への信仰も存在した。「橋姫」は『古今和歌集』(905年)巻14収録の、詠み人知らずの和歌、

「さむしろに衣かたしき今宵もや 我を待つらん宇治の橋姫
(莚(むしろ)に自分の衣だけを敷いて、今宵も私を待っているのだろうか。
宇治の橋姫は)」

でも知られているが、元々は、男女二神が合体して祀られていたものだったという。地域によっては、「橋姫」は「母」で、母子で橋をつくる際の人柱となり、橋が完成してからは「神」として祀られた。また「渡り始め」の儀礼では、親子三代が揃っている家族が選ばれ、最初に渡る。時に晴れ着を着た若い女性が「橋姫」を擬しているのか、先導する場合もあったという。

機能を超えた橋の深層:都市の利便性と「鎮魂の場所」という二面性

江戸時代(1603〜1868)に入ってからは、橋の擬宝珠(ぎぼし。橋の欄干(らんかん。橋の縁(ふち)部分)に、装飾または転落防止のために設置されている玉ねぎ型のもの)に願掛けをすれば、歯痛・頭痛・百日咳が治ると信じられるようになった。また、埼玉県の寄居町(よりいまち)には、橋の下をくぐるとはしかが治るというので、「ハシカ橋」と呼ばれている橋もある。

これらの「信仰」と並行・併存する形で、京都や江戸などの繁華な地域では、橋のほとりや橋の上で、往来の人の言葉を聞き、それから吉凶を占う「橋占(はしうら)」を生業とする人々も現れた。占い師は何故、わざわざ橋のほとりに立っていたのか。それは橋や川周辺は「水神(すいじん)」が出現する場所で、それが「占い」に説得力を持たせるものと考えられていたようだ。

更には、例えば江戸の両国橋(りょうごくばし。現・西岸が中央区東日本橋2丁目、東岸が墨田区両国1丁目)であれば、そのたもとには見世物小屋が立ち並び、そこを訪れる人々を当て込んだ物売り・物乞い・芸人、或いはそれらと重なる漂泊の民などが集まるような、「我々の共同体」の外にある「境界」の「境界性」を象徴する「場所」にもなっていた。

このような言い伝えや歴史を持つ「橋」だが、今日ではその「利便性」、或いは建築学・造形学的、または周囲の景観と溶け込んで「美しい」と捉えられることが多い。しかし言うまでもなく、橋には上記の「機能」があるだけではない。冒頭の江東区・新田橋のいわれにある、「橋供養」という言葉通り、「橋」は「供養」がなされる「場所」でもあったのだ。

「供養」とは人が亡くなった後に行う、「仏事」などの儀式やそれを執り行うことだ。本来の意味としては、亡き人の冥福を祈って、遺族が神仏の意に叶うような善事を行い、それによってもたらされた「良い結果」を供物や花と共に捧げることである。つまり「橋を供養すること」とは、橋が洪水などで壊れたこと、或いは橋梁工事などで亡くなった人の魂を慰めること、ばかりではなく、残された遺族が行う「善事」の一例とも言えるのだ。

『平家物語』に描かれた橋供養――文覚上人の転機と摂津「渡辺橋」の賑わい

「橋」を「供養」する事例として、『延慶本 平家物語』(1309〜1310年頃成立)の巻5の2に記されたものがある。そこにおける「橋供養」とは、文覚(もんがく)上人(生没年不詳。12世紀後期か)が、まだ摂津源氏の武士「遠藤盛遠(もりとお)」だった頃、人生の「転機」となった「場」だった。

1180(治承4)年の、源氏対平氏の初めての戦いである宇治橋(うじばし。現・京都府宇治市))合戦で、源氏方の源頼政(よりまさ。1104〜1180)を助けたことで知られる摂津の有力武士団「渡辺党」の本拠地だった港・渡辺津(わたなべのつ)に架かっていた渡辺橋(現・大阪区北区天神橋と中央区天満橋の間に位置していたとされる)の掛け替え工事が完了し、それを寿ぐ、或いは今日で言う「落成式」の意味合いを有した「橋供養」が催された。盛遠は父・持遠(もちとお。生没年不詳)が橋を架ける任務を担っていたことから、その一帯の警護などを司る奉行役を担っていたという。橋供養は「滅多にないおめでたいこと」であり、しかも当時は今のように多種多様な娯楽やイベントがなかったことも相まって、江口・神崎・桂本・向・住吉・天王寺・明石・福原・室・高砂・淀や(淀屋。現・大阪市北区中之島)・河尻・難波方(難波潟)・金屋・片野(交野(かたの))・岩清水・うとの(鵜殿(現・大阪市高槻市の淀川右岸河川敷)・山崎・鳥羽の里(鳥羽郷(とばごう)。現・京都市南区、伏見区)など、大阪湾から京の都にまで至る淀川流域に住まう人々が、雲霞のように集まってきていた。

浄瑠璃と怪異が彩る橋供養――「渡り初め」の儀式と一条戻橋の鬼伝説

また、この「橋供養」は、1748(寛延元)年、大阪豊竹座初演の浄瑠璃、『摂州渡辺橋供養』では、「おめでたい」とされる「壬子(みずのえね。大胆不敵な活動家)の5月5日に生まれた木性の男」である念仏の作治と、「乙卯(きのとう。柔軟性があり、我慢強い)の3月3日に生まれた水性の女」である桜のお督(ごう)が急遽、夫婦になるように言われ、完成したての橋を渡る、「渡り初め」の儀式が行われたことが描かれている。

この「橋供養」の折になされていた儀式は、日本史学者・平林章仁(あきひと。1948〜)によると、読経・迎講(むかえこう。阿弥陀如来が念仏者の臨終に来迎する様を演じた法会(ほうえ。仏法を説いたり、供養をしたりするために僧侶や信徒が集まること))・舞楽・葦毛(あしげ。灰色の毛)の馬の引き渡しが行われたという。平林は「舞楽」については、古代の歌垣や芸能との関連を指摘している。最後の「馬の引き渡し」は、鬼の怪異譚との関連があるのだろうか。例えば平安時代中期(901〜1093)に、摂津を治めていた武将・源頼光(よりみつ、948〜1021)の四天王のひとりで、先に登場した渡辺橋近くを根拠としていた渡辺綱(わたなべのつな。953〜1025)が京都・一条戻橋(いちじょうもどりばし。現・京都市上京区)で深夜、美しい女人に会った。彼女は自分を正親町(おおぎまち。現・中立売通(なかだちうりどおり))に連れて行って欲しいと言う。綱は快諾し、女人を馬に乗せた。正親町に近づいた途端、女人は鬼となり、綱の腕を掴んで、愛宕山へ飛び去ろうとした。綱は慌てず、鬼の手を斬った。腕は北野神社の回廊の屋根に落ちた。鬼は腕を失ったまま、愛宕山へと飛び去った…というものだ。

「供養」は感謝と記念の証だった:埼玉県に供養塔が突出する四つの理由

そのような歴史を持つ「橋供養」であるが、「橋」の「供養」のために石でできた「供養塔」が建てられたのは、奈良文化財研究所の上椙英之(うえすぎひでゆき。1976〜)によると、江戸時代後期の1801(寛政13)〜1840(文政3)年が最多で、現在の埼玉県が突出していることが判明している。その理由としては、以下のことが考えられる。

1.埼玉県内には利根川や荒川など、県・都をまたぐ大きな川が流れていることから、氾濫や崩壊等のリスクを鑑みて、簡素な木の橋ではなく、頑丈な石造の橋を架ける必要があった。そしてその際に、「石橋供養塔」も橋のたもとに据え置かれた。

2.江戸期における「供養」という言葉は、今日の「死者の菩提を祈る」意味のみならず、「加護」「感謝」「成就」「記念」という意味もあった。それゆえ、「石橋供養塔」は今日も存在する、巨大ビルなどの脇に設置された「定礎(ていそ)碑」や、寺社の場合なら「落慶(らっけい)碑」などと同様の意味・機能を持つものであった。

3.今日の埼玉県秩父市周辺は、中世(鎌倉(12世紀末)〜安土桃山時代(17世紀初頭))に緑泥石(りょくでいせき)でできた、「青石(あおいし)塔婆」とも呼ばれる、巨大な板碑(いたび)造立が盛んに行われていた。その「信仰形態」や「流れ」から、他府県よりも多く「石橋供養塔」がつくられた。

4.全国を巡る有名・無名の念仏僧たちが、民衆への布教活動の一環として、橋を架ける事業を行っていた。そこで、1〜3の理由が加わり、埼玉県においては、橋の完成後に「石橋供養塔」を設置することが「当たり前」「よくあること」になっていた。

人身御供から「純粋な祈願」へ:江戸のインフラを支えた精神的支柱の変遷

埼玉県の石橋供養塔の例としては、現在は狭山市入間川2丁目に移転しているが、かつては荒川水系の赤間川(あかまがわ)に架かっていた菅原橋のたもとに、1781(安永10)年建立の、馬頭観音を正面上部に刻んだ石碑がある。高さ87cm、幅36cm、台座の高さ34cm、幅71cmの、まあまあ「大きな」ものだ。これは塔の右側に名前が彫られた土地の名主・小沢忠右衛門(おざわちゅうえもん、生没年不詳)が「講」の中心となり、橋の安全や行き交う人々の無事を祈る、そしてそれが「作善」となるがゆえに建てられたものだと伝えられている。

埼玉県のみならず、東京にももちろん、存在する。例えば、大田区石川町(いしかわちょう)の中原(なかはら)街道に所在する石川橋の脇には、1774(安永3)年に雪ヶ谷(ゆきがや)村(現・大田区南雪谷(みなみゆきがや))の浄信(じょうしん)らによって建てられた、正面に「南無妙法蓮華経」と彫られたものがある。しかも正面から見て右側に、雪ヶ谷村の日蓮宗の寺・照光山円長寺(えんちょうじ)の第12世、日善(にちぜん)の署名と花押(かおう。鎌倉時代に始まったとされる、草書体の文字のような、或いは図像のような、独特な署名の一種)があることから、「この辺り」の池上本門寺(いけがみほんもんじ)を頂点とした日蓮宗の広がりを示すとともに、「人身御供」「鬼」「橋姫」等の民間信仰をかたどったものではなく、純粋に、石川橋の存続と、道行く人々の安全を願ったものだと言われている。

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ライター

鳥飼かおる

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