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亡くして初めて気づくその人の存在価値 西郷隆盛の死後の動静

日本という国が大きな変貌を遂げるきっかけとなった明治時代から数えて、今年はちょうど150年になる。150年前、徳川将軍家を頂点とする堅牢な江戸幕府倒幕に尽力した志士のひとりに、今年のNHK大河ドラマの主人公である西郷隆盛(1827〜1877)がいる。

日本人にとっての「西郷隆盛」のイメージ、そして彼への思いは人それぞれ、千差万別であるのは言うまでもない。

亡くして初めて気づくその人の存在価値 西郷隆盛の死後の動静

西郷隆盛の人物評

例えば作家の塩野七生は、「男にはその生涯にどれほどの仕事をしたかによって存在理由を獲得する型の人物」と「彼が存在すること自体に意味があり、それがその男の存在理由の際たるものになっている型の人物」とがいるとして、前者の場合、西郷同様、旧薩摩藩出身で、明治維新の立役者であった大久保利通(1830〜1878)、そして坂本龍馬(1836〜1867)などを挙げていた。そして西郷は、幕末期の長州との薩長盟約(1865年)やその3年後の土佐との薩土盟約、王政復古の大号令、鳥羽・伏見の戦い、江戸城無血開城などにおいては、大久保や坂本同様の「業績」を列挙できるが、「西郷」を語る際、それだけでは不十分である。塩野は坂本が西郷を評した言葉、「大きく打てば大きく響き、小さく打てば小さく響く」から、「胸中に燃えたぎる情熱なり野望なりに忠実に動く男であったら、このような評は生れ(原文ママ)得なかったのではないか…(略)…大きく打たれようと小さく打たれようと響きは同じであるはずなのだ」と、坂本との違いを述べた上で、西郷が後者の型に当てはまることを指摘していた。

また、政治学者の小川原正道は、明治時代以降の日本人にとっての「西郷隆盛」とは、西郷自身が後に政府の中枢に入ってから、日本の国がこれからどんな方向に向かっていくのか、そして今、どんな政策が求められているのかを多く語らなかった。そして後に自ら命を落とすことになった西南戦争(1877年)においても、この反乱が何のためのものなのかも、西郷と共に戦うべく馳せ参じた人々に対して、ほとんど語らなかったことを挙げ、「神秘的な魅力を湛えた巨大な沈黙」と評している。

塩野が言う「存在すること自体に意味がある」こと、そして小川原が言う「神秘的な魅力」を西郷に感じ取って、大きな「ブーム」になっていたのは、先の見えない混迷の時代を生きる我々現代人ばかりではなかった。西郷と同じ時を生きていた人々の間にも、すでにそれがあったのである。

死後、西郷の形を模した「西郷星」が見えると噂された

当時、今日のようにテレビや雑誌、インターネットなどの巨大メディアは存在していなかったが、江戸時代からの瓦版(かわらばん)を引き続く形で、錦絵(にしきえ)や、当時生まれたばかりであった新聞などが、世情の事件を伝えていた。それを見ることで、たとえ庶民であっても、世の中で何が起こったのかを知ることが可能だった。こうしたメディアを通して、庶民の間に西郷の存在が知れ渡り始めていたのは、1873(明治6)年、西郷が47歳の時に陸軍大将兼参議に就位したあたりだったと言われている。錦絵に描かれていた西郷は、現在の我々が知る、着流し姿で目が大きく、短髪で丸々と太った豪快な「西郷像」とは大きく異なり、「明治の元勲」らしく、長髪でふさふさとあごひげを蓄え、痩せ型の軍服姿の男性だった。

 その後、木戸孝允(1833〜1877)、大久保利通、大隈重信(1838〜1922)らとの征韓論に敗れ、鹿児島に下っていた西郷がおよそ1万5000の兵を率いて熊本城攻撃に出発したのが1877(明治10)年2月15日。いわゆる「西南戦争」だ。その年の8月3日、『大阪日報』において、「毎夜2時頃辰巳(東南)の方」に現れた赤色の星を望遠鏡で眺めると、「陸軍大将の官服」を着た西郷の姿が確認できる。いわゆる「西郷星」に関する報道がなされたのだった。

西郷星だけでなく、なんと「西郷生存説」まで流れた

「星」となって輝くほどのカリスマがあった西郷だったが、9月24日、鹿児島に逃れ帰り、城山(しろやま)で自刃した。

「西郷星」騒動はこれで終わることはなかった。年を経て、1889(明治22)年2月11日、大日本憲法発布に伴う大赦によって、それまで「賊軍」とされていた西郷は赦免され、正三位が追贈された後にまた現れたのだ。同年2月27日の『東京日日新聞』によると、ここ2、3日の間、西の空に西郷星が現れたと評判になった。それは贈位のお礼のために、西郷が西方の幽冥界より来たのではないかという。

更に星ばかりではなく、今度は「生存説」も噂されるようになった。1891(明治24)年4月3日の『朝野新聞』によると、西郷は実はロシアに逃れており、同年5月11日に来日するロシアの皇太子で、大津で斬りつけられて負傷した、後のニコライ2世(1894〜1917)の随員として来日するというものだった。

西郷星も生存説も西郷に対するファン心理のあらわれ

西郷生存時の「西郷星」の出現は、あらゆる価値観や生き方が変転させられることとなった明治新政府に対して不平不満を有していた没落士族や庶民の人々が、「反体制」「反逆者」の象徴としての西郷の蜂起に夢を託したものであった。そして死後のものは、晴れて「朝敵」ではなくなった西郷に対しての、今で言う「ファン心理」が見せたものだと推察される。そしてそれは依然として忘れられることはなかった。「生存説」に関しては、前年1月18日に、富山県に始まった大規模な米騒動をきっかけに、政府に対する不信感が庶民層に大きく広がっていた。従って、不本意な形で死んだはずの西郷が実はロシアまで落ち延びており、逆に政府に天誅を下す救世主として日本に再び現れることが期待されていたと考えられる。

たとえ100年以上前であっても、これらのことが現実離れしたものであることは、当時の人々にとっても「わかりきったこと」であったはずだ。しかし、「事実」が有する、ある意味全く面白みのない「整合性」よりも、胸湧き踊る「虚構」の中に「真実」を見い出したい気持ちというのは、昔も今も変わらない。

しかし1898(明治31)年に、東京・上野公園に彫刻家の高村光雲(1852〜1934)作の銅像が立てられたことによって、先に挙げた「反権力」、そして「西郷星」や「生存説」を含んだ「神秘的な魅力」といったイメージは一変し、「犬を散歩させている親しみやすい歴史上の人物」として、今日に至るまで固定されていくことになる。

西郷にちなんだ手毬唄が埼玉県入間郡毛呂山町から全国に伝わっている

また、成立時期は不明だが、恐らく西郷の死後以降だと推察される、西郷にちなんだ手毬唄(てまりうた)/鞠(まり)つき歌がある。


   「一かけ 二かけて 三かけて 四かけて 五かけて
   橋をかけ 橋の欄干 腰おろし 遥か向こうをながむれば
   十七、八のねえさんが 花と線香手に持って
   ねえさんねえさんどこ行くの
   わたしは九州鹿児島の西郷隆盛娘です
   明治10年翌年に 切腹なされた父上の お墓参りをいたします
   御墓前で手を合わせ ナンマミダーブツ 拝みます
   西郷隆盛魂が フーワリフワリと浮いてます」


この歌は埼玉県南西部に位置し、東京都心から50キロ圏内に位置する入間郡毛呂山町(もろやままち)の川角(かわかど)地区に伝わるものだ。もちろんこの歌は毛呂山町限定のものではない。多少の脱落や言葉の違いはあっても、「西郷の娘」が呼び止められて、父親の墓参りに行く途中であることを話すという内容で、日本全国に伝わっているものだ。

手毬とは?手毬唄とは?

手毬唄こと鞠つき歌の「まり」とは、「毬」「鞠」とも書く。今の我々が知るゴム製のまりが使われ始めたのは、1877(明治10)年頃とされている。それまでは、ワラビなどの植物の産毛や綿を芯にして、その周りに糸を巻きつけた「かがりまり」が用いられていた。それと同時に、武家の娘などの富裕層の間では、「かがりまり」の周囲を五色の絹糸で飾った「御殿(ごてん)まり」も好まれていた。ゴムまりとは異なり、「かがりまり」はさほど弾まない。そのため子どもたちは、地面に打ちつけるのではなく、膝をついて、床との短い距離をトントンとついて遊んでいた。そのため、遊びの際には長い物語歌が適していたという。だが、ゴムまりの普及につれて、単純に打つばかりではなく、歌に合わせた手足の複雑なジェスチャーが伴われるようになっていった。それにつれて、『いちもんめのいすけさん』のように、「いちもんめー」「にもんめー」と歌い、「じゅうもんめー」で完結する、短い有節形式で進行するものと、『あんたがたどこさ』のように、話が進んでいくバラード形式のものが歌われるようになっていった。

また、手毬そのものは、最初から女の子の遊びのために発明されたものではなかった。当初は専門の、旅回りの人々の技芸だったものが、いつしか子どもたちに模倣されていくようになったものである。歌も当然、まりをつく技芸と共に引き継がれたものであるため、子ども専門に大人がつくったものでも、子どもの誰かがつくりだしたものでもなかった。そのため、省かれたり、違う言葉に置き換えられたりして、意味が通じないまま、その地域で歌い継がれているものも多いのだ。手毬唄そのものは今現在、『あんたがたどこさ』だけがかすかに命脈を保っている格好だが、1970年代以降、子どもの遊びの多様化が進み、多くのものが廃れていってしまっている。

西郷と手毬唄と埼玉県の関係性

西郷の手毬唄が伝わる毛呂山町だが、秩父山地東麓に位置し、上野国国府と武蔵国国府を結んでいた交通路があったことから、古くは、鎌倉幕府に仕える多くの武士を輩出した場所だった。近世になってからは、幕府領・藩領・旗本領・寺社領などが複雑に入り組んだ格好で、米や麦を生産する農家が点在していた。明治維新後の1872(明治5)年に群馬県富岡に製紙工場が落成したことから、毛呂山町ではそれまでの農業に加え、養蚕業がさかんになっていった。しかも蚕を育てるばかりではなく、家内制手工業的な小さな「機屋(はたや)」「織屋(おりや)」「工場(こうば)」があちこちに建ち、そこに近在の村々出身の女工たちが、住み込みで働いていた。そうしたことから町内には、小間物を売る行商人のみならず、蚕の餌である桑の葉を売買する人々、繭や使い物にならないクズの糸などを買い付けに来る商人など、遠方からの人の出入りが大勢あったと言われている。西郷の手毬唄やゴムまりなども、そうした人々と一緒に、毛呂山町にもたらされたものであろうと考えられる。

手毬唄に登場する「西郷隆盛娘」は西郷の実在の娘

そして、手毬歌に歌われた「十七、八のねえさん」「西郷隆盛娘」とは、実在の人物・菊草(きくそう、後に菊子と改名。1862〜1909)のことと考えられる。1858(安政5)年に安政の大獄が始まったとき、西郷は同志の僧・月照と錦江湾で入水自殺を図った。助かった西郷は3年間、奄美大島で潜居生活を行なっていた。その折に西郷は、島の名家の娘・愛加那(1837〜1902)と結婚し、一男一女をもうけていた。愛加那は「島妻」ということで、日本内地の土を踏むことは許されなかったが、西郷の3度目の妻・いと(糸子とも。1843〜1922)は後に、島の子ども2人を引き取り、愛情をもって育て上げた。そして菊草は17歳のとき、陸軍軍人の大山巌(1842〜1916)の弟・誠之介(1850〜1915)と鹿児島で結婚した。4人の子どもに恵まれたが、その生活は必ずしも幸せなものではなかった。晩年は夫と別居した後、兄・菊次郎の家に移り住み、47歳の若さで亡くなった。

また、手毬唄の「西郷隆盛娘」がお参りしようとしていた西郷の墓所は、桜島が見渡せる鹿児島市の高台の上に建てられている。

最後に・・・

何もかもが丸裸にされてしまう今日のマスメディア攻勢やインターネット社会と比べ、当時の西郷のプライバシーの詳細がどれほど世間に知れ渡っていたかは知る由もないが、少なくとも西郷の非業の死を娘が悲しみ、墓参りに出かけていた。しかも西郷の魂が墓前でフワフワ浮いていると歌われるほど、多くの人々にとって、西郷の死は惜しまれるものだったことだけは明らかだ。

2018年の今、誰が西郷のように「星」になり、死後もなお、「生存説」が噂され、子どもの遊びの歌にまで歌われるようになるのだろうか。我々は今、全く気づいていないが、もしかしたら、西郷のような「存在すること自体に意味」がある、「神秘的な魅力」をたたえた人物と同じ時代を生きているのかもしれない。

参考文献とURL

■柳田國男『定本柳田国男集〈第17巻〉』1969年 筑摩書房
■毛呂山町史編さん委員会(編)『毛呂山町史』1978年 毛呂山町
■永池健二「『流行歌』の発生について −柳田國男の民謡論を手掛かりとして」『日本歌謡研究』第19号 1980年 (42−47頁)日本歌謡学会(編/刊)
■村本達郎(編)『ふるさとの思い出写真集 明治・大正・昭和 越生・毛呂山』1980年 国書刊行会
■『毛呂山民俗誌』vol. 2 1991年 毛呂山町教育委員会(編/刊)
■樋口昭「鞠つき歌」福田アジオ・新谷尚紀・湯川洋司・神田より子・中込睦子・渡邊欣雄(編)『日本民俗大辞典 下』2000年(589−590頁)吉川弘文館
■遠山茂樹「西郷隆盛」臼井勝美・高村直助・鳥海靖・由井正臣(編)『日本近現代人名辞典』2001年(445−446頁)吉川弘文館
■赤羽由規子「まりつき歌」小島美子・鈴木正崇・三隅治雄・宮家準・宮田登・和崎春日(監修)『祭・芸能・行事大辞典 下』2009年(1667頁)朝倉書店
■毛呂山町秘書広報課(編)『2015 毛呂山町勢要覧 合併60周年記念』2015年 毛呂山町
■「南洲墓地(西郷隆盛の墓所)/鹿児島市」『たびらい』2016年5月20日 
■森田健司「イメージとしての西郷隆盛」『大阪學院通信』第48巻 第2号 2017年(1−29頁)大阪学院大学通信教育部(編/巻)
■阿井景子「文藝春秋に残された西郷秘話 6:その後の西郷家の人々」」『文藝春秋 12月特別増刊号 永久保存版 西郷隆盛を知る』2017年10月19日(72−81頁) 株式会社文藝春秋
■小川原正道「私にとって『西郷隆盛』とは:沈黙と悲劇のひと」『文藝春秋 12月特別増刊号 永久保存版 西郷隆盛を知る』2017年10月19日(84−85頁) 株式会社文藝春秋
■塩野七生「男の肖像 −西郷隆盛」『文藝春秋 12月特別増刊号 永久保存版 西郷隆盛を知る』2017年10月19日(204−207頁) 株式会社文藝春秋
■「菊草の写真見つかる」『奄美新聞』2018年3月2日 

ライター

鳥飼かおる

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