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遠藤周作「深い河」ーー魂の救いを求める作家の信仰と死への葛藤

「深い河」は遠藤周作(1923〜1996)最後の長編小説である。彼の棺には遺言通り「沈黙」と「深い河(ディープ・リバー)」が納められたという。常に死に怯えていたという作家が、病と闘いながら書き上げたものとは何か。

遠藤周作「深い河」ーー魂の救いを求める作家の信仰と死への葛藤

深い河

年齢も職業も異なる日本人がそれぞれの理由、物語を背負ってインドツアーに参加した。妻をがんで亡くした磯辺は妻が「必ず生まれ変わるから探してほしい」という願い通り、転生の研究機関に問い合わせ、前世が日本人だという少女を探すべく参加した。本人も生まれ変わりなど信じていない。しかし人間は理性だけで行動するものではない。

死を覚悟した手術中、飼っていた九官鳥が身代わりに死んだと信じた、童話作家・沼田。彼はその恩返しのように、現地で買った九官鳥を籠から逃がした。
元日本軍平日の木口。おそらく史上最悪の作戦「インパール作戦」の犠牲者と思われる。彼の友人は知人の肉を食ったことに生涯苛み死んだ。彼はガンジス河で友人のために読経を行った。
看護ボランティアとして磯辺の妻を介護した成瀬美津子は、敬遠な信仰者・大津を誘惑し、一度は大津に神を棄てさせた。しかし彼は再び信仰の道に帰った。彼女は自分が求めているものが何かわからないまま、現地で大津と再会する。

彼らが向かった最終地はガンジス河だった。タイトルの「深い河」とはガンジス河を指す。インドの人々は死ぬためにこの河を目指す。辿り着けず果てた者も遺体となって河に運ばれていく。ガンジス河は、人間、動物、身分貧富の差もなくすべての命を受け止め、来世に向かって流していく存在である。

宗教多元主義とガンジス河

遠藤本人が語っていることだが「深い河」は宗教哲学者で宗教多元主義を提唱する、ジョン・ヒック(1912〜1922)の思想の影響が大きい。宗教多元主義とは、優れた世界宗教で崇められる神々は、究極的な存在を土地や民族の違いを通して、それぞれが応答しているだけで本来は一つという考え方である。ヒックによれば、著作「神は多くの名をもつ」の通り、ある場所では「アッラー」、ある場所では「イエス」と、呼び方が異なるだけである。

大津はカトリック信徒の家に生まれた。信仰に自信の無い大津の心は揺らいでおり、美津子の誘惑に負けたこともあった。結局信仰に帰ったものの、キリスト教だけが絶対とする、排他的なキリスト教絶対主義(Christian absolutism)を受け入れられず、「神は多くの顔を持っておられる」と言い、教会内で孤立した。美津子にも、玉ねぎはキリスト教だけでなくヒンズー教にも仏教の中にも生きていると語った。玉ねぎとはイエスのこと。「神」という言葉を嫌う美津子に、トマトでもタマネギでもなんでいいと言って以来、美津子にはイエスのことを「玉ねぎ」と呼んでいる。神の名は一神教には重要な要素のはずである。ここにも大津の多元主義的な考えが見られる。このような人物が教団の試験に合格して神父になれるはずはなく、リヨン、ガラリヤの修道会を渡り歩き、ついにはインドに流れ着いた。教会を追われた大津はアウトカーストの遺体をガンジス河に運ぶ仕事に従事していた。そして、世俗にまみれたツアー参加客の一人を暴力から庇って死んだ(と思われる)。

死に怯えた作家

何もかもを洗い流していくガンジス河。といえば悟った様な気分になるが、遠藤は病身で常に死に怯えていた作家だった。カトリックに身を置きながら、「深い河 創作日記」など各方面で事あるごとに、老い、死への恐怖を吐露している。長崎市の遠藤周作文学館近くにある「沈黙の碑」にはこう刻まれている。なお「沈黙」本編にこの文言は見当たらない。

「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」

「深い河」の冒頭は「やき芋ォ、やき芋、ほかほかのやき芋ォ」との声で始まる。妻のがんを宣告された診察室の窓の下から聞こえる焼き芋屋の声である。自分たちがこれほど苦しんでいるのに、外界はいつもと変わらない日常をおくっている。自分が死んでも世界は相変わらずだろう。遠藤はそれを考える度やりきれなく思えたようだ。そんな遠藤のカトリック解釈は独特で、遠藤教と揶揄されたこともあった。「沈黙」では死を恐れぬ殉教者の強さより、死に恐怖した棄教者の弱さを描いた。そのことでカトリック教会から批判されたこともある。死に怯え、誰よりも信仰を必要としていたにも関わらず、その信仰に自信が持てない遠藤にとって、宗教多元主義の思想は、まさにガンジス河のように自分の信仰のすべてを受け入れてくれたように感じたのかもしれない。大津はその象徴だったといえる。

信仰の告白

「深い河」については、様々な視点から投射されており、各論が展開されている。そうした中で本作から宗教多元主義を見出し、ガンジス河をその象徴とする解釈は現代では月並みといえるが、やはり外せない論点であり基本として押さえておくべきである。そこには洗礼を受けながらも生涯、死に怯え、救いを求めた、遠藤の信仰に対する切なる告白が現れている。

参考資料

■遠藤周作「深い河 ディープ・リバー」講談社(1996)
■遠藤周作「『深い河』 創作日記」講談社(2000)
■遠藤周作「死について考える」光文社(1996)
■ジョン・ヒック著/間瀬啓允訳「神は多くの名前をもつ」岩波書店(1986)
■ジョン・ヒック著/間瀬啓允訳「宗教多元主義 宗教理解のパラダイム変換」法藏館(1990)

ライター

渡邉 昇

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